具体的な表現がないのは、何も理解していないということだ
大学生の頃、意識が高かった私は、1年生の頃から、よく他の専門の授業をとったりして、数学以外のことに重きを置いて勉強していた。大学4年の頃には、自分の専門である微分幾何以外にも、行動経済学と実験心理のゼミに参加していた。実験心理学は聴講だけど。
もともと大学では数学以外に心理学も勉強したかったのだが、心理学の教養科目を幾つかとっていくうちに、「もっと他専門的なことも勉強してみたい」と思い、つまみ食いのような履修になってしまった。
その中で、学生の間で「恋愛学」と呼ばれる授業があった。この授業は、ドイツの文化をテーマにしているはずの授業だったのだが、恋愛をテーマにしたオペラや進化心理学のテレビなどを見て、人間の恋愛行動について考えさせる内容になっていた。
内容が内容なものだから、カップルで受講したり、女子グループが数名で受けに来るなど、とにかく女子の参加率が高かったように思うし、毎回教室から学生が溢れんばかりだった。
この授業では、講義内容をもとに書いた感想文*1を提出するのが成績評価の方法だった。ある回では、オペラ*2を鑑賞して、登場人物の心情を考察することが感想文のテーマだった。
翌週、学生が前週に提出した感想文の中でも、教員の目を引いたものを幾つか学生の前で読むのだが*3、「登場人物の恋愛がうまくいかないのは、現代でもよくあることで、恋愛のような普遍的なテーマは、多くの人の興味関心をそそるのだろう」という感想文があった。
授業コメントとしては、一般的すぎて、授業を聞いていなくても誰でも考え付くような答えであり、あまり良い回答ではないように思った。しかし、学部の授業でのコメントなんて大体こんなもんだろという思いもあった。
この感想文に教員は偉く不愉快に思ったのか、「こういった感想文は、授業をろくに聞いていなかったやつが書くものであり、過度に一般的な表現を用いているだけで、何も分析できていない。具体的な表現がないのは、何も理解していないということだ。」と言った。
その後、「以降、こういった回答する学生はたとえ出席してコメントを提出しても、点数は与えない」とまで言っていた。
正直この言葉が、文系の学部の授業で出てくるとは思わず、非常に驚いた。当時、心理学や経済学などの文系の専門科目も履修していたが、ここまで厳しい指摘(というかまっとうな指摘)をする教員に出会ったことはなかった*4。
この授業はとにかく人が多く室内も異様に蒸し暑かったので、やる気が削がれてしまい、途中でリタイアしたが、学生のしょうもない性体験を聞かされるよりもこの言葉が最も印象に残っており、今でも頭の片隅に置いてある。